湖底から生まれた田んぼ、その米
秋田県の北西、男鹿半島の付け根。かつてここは八郎潟という湖だった。1957年から20年かけて、総事業費852億円をかけた干拓事業によって、日本最大の干拓地が生まれた。それが大潟村だ。
村は1964年、わずか6世帯14人で発足した。全国から589名の入植者が集まり、秋田県内38都道県から農民たちが移り住んだ。彼らが開いた水田は約1万ヘクタール。今、秋田県全体の米生産量の1割を担う、日本有数のコメどころになっている。
湖底の土は、もともと水はけが悪かった。だから国が畑作への転換を迫った時代も、この村の農民たちは米にこだわった。減反政策の時代、苦しい選択を迫られながらも、米作りの道を守り続けた。その執念が、今の大潟村の米を支えている。
新しい品種、古い土地の力
サキホコレは、秋田県が開発した新しい品種だ。令和7年産の予約受付が始まっている。粒が大きく、甘みが強いと言われる米。干拓地の広大な水田で、大型機械を使った近代的な農業経営の中で育つ。

届いた2kgの精米を、炊飯器に入れる。水加減は普通より少し少なめ。新しい品種は、水を吸収する力が強い。炊き上がりは、粒がしっかり立つ。朝食の白いご飯として、あるいは夜の晩酌の肴の横に。毎日の食卓に、湖底から生まれた土地の力が届く。
あきたこまちの無洗米もある。こちらは特別栽培。研ぐ手間がない分、朝の準備が楽になる。冬の冷たい水に手を浸さずに済む。秋田の米作りの歴史を背負った品種が、現代の暮らしの中で、静かに役割を果たしている。

土地の記憶を食べる
大潟村には自然に形成された山も川もない。すべてが人間の手で造られた風景だ。北緯40度と東経140度の交点がこの村にあり、その場所には経緯度交会点標示塔が立っている。日本の領土である陸地で、10の倍数の緯線と経線が交わるのはここだけ。
そういう、人工的で、計画的で、それでいて壮大な土地で作られた米を食べることは、単なる食事ではない。湖を田に変えた時代の、農民たちの決意と苦労を、毎日の食卓に迎え入れることだ。
サキホコレの1合パックなら、一人暮らしや少人数の家庭でも、新しい品種を試しやすい。8個セットで、毎日違う炊き方を試してみるのもいい。冷やご飯にしてみたり、おにぎりにしてみたり。新しい米が、あなたの台所でどう活躍するか、確かめてみる時間。それが、大潟村の米を選ぶことの始まりだ。
