宝満川が南北に貫く、米の町
小郡市は福岡県の南部、筑紫平野の北に位置する。市域を南北に縦断する宝満川——筑後川の支流——がこの町の骨格だ。平坦な宝満川流域、標高20メートル前後の東北台地、西北丘陵地に区分される地形は、古くから水利に恵まれた農業地帯を作ってきた。
江戸時代、この町には複数の堰が築かれた。1624年の石井堰、1647年の稲吉堰、1673年の津古堰、1772年の大板井堰——水を引き、田を潤す仕事の積み重ねが、今も町の基盤になっている。
筑後小郡産のひのひかりは、その水と土の上で育つ。10キロ、農家直送という形で届く米は、毎日の炊飯の相棒になる。粒が立ち、甘みが引き立つ米は、おかずを選ばない。朝の味噌汁の時間も、夜の一杯のおかずも、この米があると台所の手が自然に動く。冷めても硬くなりにくく、おにぎりにしても弁当に詰めても、翌日まで風味が残る。筑後平野の米は、そういう日常の米だ。

和牛と明太子、町の産業の顔
小郡市は、福岡市への通勤率が19.1%、久留米市への通勤率が11.9%という位置づけながら、独自の産業基盤を持つ。市内には I-PEX の工場やキャンパス、東レ・メディカルの支店など、製造業の拠点が集積している。

その一方で、農業の営みも続いている。博多和牛のザブトンと肩ロース芯は、2人前のしゃぶしゃぶ・すき焼き用として届く。薄くスライスされた肉は、鍋の湯に数秒くぐらせるだけで食べ頃になる。脂の甘さが口に広がり、野菜と一緒に食べると、肉の旨味が引き立つ。冬の夜、家族で鍋を囲む時間が、この返礼品の着地点だ。

辛子明太子は、福岡を代表する食材だが、小郡市からの返礼品として届く時、それは町の食卓文化の一部になる。2キロ、1キロ×2箱という量は、家族で食べるにも、知人に分けるにも、ちょうどいい。ご飯の上に乗せ、白いご飯の粒々に明太子の粒々が絡む。朝食の一品として、酒の肴として、この町の食べ方の中に自然に溶け込む。
古い交易路から、今の食卓へ
小郡市は海に接しない内陸だが、かつて民間レベルの交易は有明海を用いられ、宝満川がその流通路だった。古代には筑後国の御原郡衙が置かれ、大宰府も近い交通の要衝として栄えた。その歴史の中で、この町の食べ方は形作られてきた。
今、ふるさと納税の返礼品として届く米、肉、明太子は、その長い営みの現在形だ。毎日の食卓に着地する時、それは単なる商品ではなく、筑後平野の水と土、そしてそこで働く人たちの手が、家の台所に届いた形になる。
