扇状地の米作り、その現在地
東温市は愛媛県で唯一、海に面していない。松山市の東隣、重信川とその支流が刻んだ道後平野の扇頂部に位置する町だ。私がこの町を見るとき、まず思うのは水の豊かさである。ため池が多く、龍沢泉、柳原泉、森の木泉など、名のある泉が幾つも湧く。砂礫質の土地だからこそ、水を留める工夫が積み重ねられてきた。上林、井内、河之内といった地区では棚田が形成され、その段々畑の景観は、この町の農業の歴史そのものだ。
坂本自然農場のにこまるは、そうした風土の中で育つ米である。特別栽培という枠組みで作られ、冷めても美味しいという特性を持つ。これは弁当や握り飯の米として、日々の食卓に着地する米だ。朝、握った握り飯が昼に食べられるとき、その米の粘りと甘さが活きる。炊きたての白飯として食べるのも良いが、この米の本領は、時間が経った後の食べ方にある。家族の朝食の準備、子どもの弁当作り、そうした日常の手仕事の中で、この米は真価を発揮する。

どぶろく特区が生んだ、農家の晩酌
2008年、東温市は「どぶろく特区」の認定を受けた。農家食堂や農家民宿の起業を促進し、地域振興を図るという施策である。その流れの中で生まれたのが、どぶろく由紀っ娘物語だ。甘口のどぶろくは、米を仕込み、手作りで発酵させる。農家が自らの手で作る酒である。

どぶろくは、濁った、粗い酒だ。市販の清酒のような透明感も、洗練された香りもない。だが、その濁りの中には、米の粒子が浮かび、発酵の過程がそのまま残っている。甘口という設定は、晩酌の酒として、食事の後の一杯として、家の台所に自然に置かれることを想定している。冷やして飲むも良し、ぬる燗にするも良し。農家が自分たちの米で仕込んだ酒を、自分たちの食卓で飲む。その営みが、この町の「どぶろく特区」の本質だと私は考える。

米と水と、季節の手当て
東温市の返礼品は、派手ではない。高級感や希少性を前面に出すものではなく、むしろ日常の食卓に静かに着地するものばかりだ。それは、この町が農村地帯でありながら、医療従事者や勤め人が多く住む、生活実感の濃い町だからだろう。棚田の段々が見える風景の中で、毎日の米を炊き、季節の野菜を使い、時には自家製のどぶろくを傾ける。そうした暮らしの現実が、返礼品の選択肢に反映されている。
重信川の水が育てた米。泉の水が支えた農業。その営みの中で、この町の食卓は成り立っている。
