山に囲まれた盆地の、牛肉の話
名張は伊賀盆地の南部に位置する町だ。赤目四十八滝や香落渓といった渓谷に囲まれ、四季の鳥の声が聞こえる環境にある。大阪へ約60分という距離感から、かつてはベッドタウンとして急速に人口が増えたが、今は減少に転じている。そうした町の現在地を知ると、地元で育てられた牛肉の価値が見えてくる。
伊賀牛のヒレステーキは、この町の農業基盤を代表する品だ。稲作、ぶどう、いちごといった農産物と並んで、名張の台所を支えてきたのが畜産である。盆地特有の気候と水、そして山々に囲まれた環境が、牛の飼育に適した条件を作ってきた。ヒレは赤身の最高峰。脂肪が少なく、肉本来の甘みと香りが際立つ部位だ。

届いたステーキを家の台所に置くと、その厚みと色合いが目に入る。焼く前から、この肉がどれだけ丁寧に育てられたかが伝わってくる。フライパンやグリルで焼く時、表面が香ばしく色づき、中は淡いピンク色を保つ——その瞬間が、名張の風土を食べる時間になる。塩とこしょう、あるいは醤油だけで十分だ。赤身の肉汁が、ご飯や野菜を引き立てる。
町の産業と、食卓の距離
名張には複数の酒蔵がある。木屋正酒造、澤佐酒造、瀧自慢酒造、福持酒造場——水が綺麗だからこそ、日本酒づくりが根付いている。その同じ水が、牛の飼育にも使われている。工業団地も複数あり、関西と中京圏の中間という地理的利点を生かした製造業も盛んだ。しかし、この町の顔は、やはり農業と畜産にある。

伊賀牛のステーキを焼く夜、その肉がどこから来たのか、どんな環境で育ったのかを思い出すことは、単なる食事ではなく、町そのものとの対話になる。赤身の肉が、盆地の風と水を運んでくる。
