台地を水が走った時代から
安城の土地は、かつて生産性の低い碧海台地だった。19世紀、豪農たちが矢作川から用水を引く計画を立てたが、反対と病死で頓挫した。それを引き継いだのが明治時代。1878年に建設が始まった明治用水は、4年で一部が開通し、1885年までに280キロメートルが開削された。その水が、それまで何もできなかった台地を一変させた。
私はこの町を、水路が引かれた瞬間から始まる場所だと見ている。明治用水の幹線・支線が今も市内を流れ、その水が田を潤す。安城が「日本デンマーク」と呼ばれた1920年代から1930年代、農業の先進地として知られたのは、この用水があったからだ。農林学校が置かれ、農業指導機関が集まり、多角化と共同化が進んだ。その土壌の上に、いまの米がある。
食卓に届く、その米の現在
愛知県産あいちのかおりは、この町の水と土で育った白米だ。5キロという量は、一人暮らしなら1ヶ月弱、家族なら2週間強。毎日の炊飯に、ちょうど使い切れる分量である。

届いた米を開けると、粒が揃っている。炊くと、甘みが立つ。これは品種の特性もあるが、同時に、この地域の水と気候が米に与えた性質でもある。岡崎平野の中央、矢作川の西岸に位置する安城は、夏は暑く冬は冷え込む内地性の気候。その気候が、米の食味を作る。

白米は、冷めても硬くなりにくい。おにぎりにしても、弁当に詰めても、翌日食べても米の粒がしっかり立っている。朝、急いでいる時も、夜、ゆっくり食べる時も、この米は台所の中で同じ顔をしている。保存は、冷暗所で。開封後は冷蔵庫の野菜室に入れておくと、虫がつきにくく、風味も落ちない。
150年の水が、毎日の食卓へ
安城の米を食べることは、明治用水が開いた土地の歴史を、毎食、口に入れることだ。その水がなければ、この台地は今も何も育たない場所だったかもしれない。いまは、名古屋や豊田の衛星都市として工業が盛んだが、市域の40%弱は今も田である。その田を潤す水は、150年前に引かれた用水から続いている。
毎日、白米を炊く。その米粒の一つ一つが、この町の水と土と気候の産物だ。
