宿場町の跡地に、水が張られている
幸手市は埼玉県の東部、利根川に近い沖積低地にある。江戸時代、ここは日光街道と日光御成街道の合流点に位置する宿場町として栄えた。徳川将軍が日光東照宮へ向かう際に立ち寄り、明治天皇も宿泊した。その歴史の重みは今も聖福寺や行在所跡に残っている。
しかし私がこの町を見るとき、思い浮かぶのは宿場の建物ではなく、市街地の外側に広がる水田だ。海抜10m前後の低地という地形は、かつて水害と隣り合わせだった。権現堂川の改修、葛西用水路の開削——江戸から明治にかけて、この町の人たちは何度も堤防を修築し、水を制御する術を磨いてきた。その営みの結果が、今の水田地帯である。
幸手市産コシヒカリは、その低地の米だ。色彩選別済みの白米10kgが届く。粒が揃い、光沢がある。炊くと、ほのかな甘みが立ち上る。これは肥沃な沖積土と、利根川の水系が育てた米の味である。

台所に着地する、毎日の白米
米は返礼品の中でも、最も家の食卓に溶け込みやすい品だ。届いた10kgは、四人家族なら一ヶ月強の朝昼晩を支える。朝の味噌汁の椀に、昼の弁当に、夜の定食に。特に意識することなく、毎日口に入る。
コシヒカリは粘りが強く、冷めても硬くなりにくい。握り飯にしても、翌日の弁当でも米の食感が残る。秋から冬にかけて、新米の季節に届けば、その年の米の香りを家族全員で味わうことになる。
色彩選別済みというのは、機械が粒の色を見分け、割れた米や変色した米を取り除いているということ。手間がかかる工程だが、炊いた時の見た目が整い、食べる時の不快感がない。毎日食べるものだからこそ、そうした細部の丁寧さが、台所での小さな満足につながる。
低地の町が、米を作り続ける理由
幸手市の人口は減少傾向にある。1995年の国勢調査を境に、人口は減り続けている。高度経済成長期には増加したが、都心回帰の波に乗って、若い世代は流出した。今、市の人口は約5万人を切っている。
そうした中でも、この町の水田は存在し続けている。宿場町としての役割は終わったが、農業の営みは続いている。それは、この地形が米作りに適しているからであり、何百年もかけて整備された水路と堤防があるからだ。
寄付をして この米 を受け取ることは、その営みを支えることでもある。江戸の宿場町の面影は薄れたが、利根川の低地で米を作る人たちの手は、今も動いている。
