石ばかりの台地を潤した水路
那須塩原市の半分を占める那須野ヶ原は、国内最大級の複合扇状地だ。那須岳、大佐飛山地、高原山から流れ出る河川が、緩やかな傾斜の平地を作った。しかし江戸時代まで、この土地は『手にすくう水も無し』と歌われた不毛の原野だった。
地表を少し掘れば砂礫層。保水力は極めて弱く、北側の那珂川も南側の箒川も、田畑を潤すには流れが深すぎた。住民は箒川まで水桶を抱えて往復したという。明治に入るまで、この台地は集落もまばらな原野のままだった。
転機は明治18年。那須疏水の開削である。那珂川上流の西岩崎に頭首工を建設し、幹線水路16.3kmを僅か5ヶ月で完成させた。その後、支線水路46.5kmが張り巡らされ、総延長332.9kmの水路網が出来上がった。安積疏水、琵琶湖疏水と並ぶ日本三大疏水の一つ。この水が、4000haの開墾を可能にした。
疏水が育てた米の味わい
なすひかりは、その疏水の恵みを受けて育つ。明治の開拓民が入植した土地で、今も同じ水が流れている。

米粒は透き通り、炊くと甘みが立つ。冬の寒風が吹き下ろす那須野ヶ原の気候が、昼夜の寒暖差を生み、米に深い味わいをもたらす。朝日が当たる食卓で、白い湯気とともに、その米を口に入れると、明治の人々が掘った水路の歴史が、ほのかに感じられる。
同じく那須野ヶ原で育つコシヒカリも、疏水の水を受けた田で実る。栃木県北産の銘柄米として、粒の立ちと粘りのバランスが特徴だ。

温泉と、開拓の記憶
市の北西部は山岳地帯。塩原温泉郷は1200年以上の歴史を持つ古い湯治場で、明治大正期の文豪たちに愛された。松楓楼松屋の宿泊券で、その温泉に浸かれば、開拓の時代を超えて、この土地の時間が流れているのを感じるだろう。
那須塩原は、平野と山、疏水と温泉、明治の開拓と古い湯治場の歴史が重なった町だ。寄付して届く米は、その重層性を、毎日の食卓に運ぶ。