島が一つの蔵になる土地
佐渡島は、江戸時代から金山の財を背景に、北前船の寄港地として栄えた。その時代、塩辛い海風と冬の豪雪に耐える米作りが、島の暮らしの中心だった。今も加茂湖周辺の国中平野では、毎年コシヒカリが育つ。私はこの島を、米と酒が一体になった土地だと見ている。
佐渡の酒造りは、米を育てる農家と、それを仕込む蔵元が、同じ風景の中で呼吸を合わせている。加藤酒造の金鶴大吟醸は、その関係を最も素直に形にした一本だ。全量を佐渡産米で仕込む。米から手掛ける酒造りという言葉は、単なる地産地消ではなく、蔵元が毎年、その年の米の出来を読み、仕込み水の温度を調整し、麹の香りを嗅ぎながら、米と対話する時間を意味している。

手仕事が積み重なる、一本の酒
大吟醸とは、米の外側を磨き落とし、中心部だけを使う仕事だ。加藤酒造がどれだけの時間をかけて米を選別し、どの段階で仕込み水を足すのか、その細部は蔵の中にしかない。だが、届いた一本を開けば、その手仕事の痕跡は香りと味わいに刻まれている。晩酌の盃に注ぐとき、あるいは冬の夜、ぬる燗にして飲むとき、佐渡の冬の空気と、米を育てた農家の手が、その酒の中に重なっているのだ。
米と酒、そして柿の季節
佐渡の返礼品を選ぶなら、米と酒を一緒に考えたい。佐渡産コシヒカリは、その酒を生み出した米そのものだ。炊きたての白米の香りと、大吟醸の香りを重ねて味わう。秋から冬にかけては、おけさ柿も季節の返礼品として届く。種なしで、甘みが濃い。冷えた夜、酒を飲んだ後に、柿の甘さが口に残る。そうした季節の手当てが、佐渡の暮らしの中にはある。

島全体が一つの蔵であり、一つの田であり、一つの家である。その感覚を、返礼品を通じて家の食卓に引き込むことができるのが、佐渡への寄付の意味だと私は考えている。
