分水嶺に囲まれた、二つの顔を持つ町
伊豆市に入ると、まず地形に圧倒される。市域の67%が山林で、人家は狩野川とその支流の脇のわずかな平地に集まっている。標高500~1000メートル級の分水嶺が市を囲み、その内側に狩野川水系の上流域が広がる。海岸部との間には標高570メートルの船原峠があり、これが地域住民にとって地理的・心理的な障壁となっている。
私はこの町を「谷間の町」と見ている。火山島だった伊豆半島の侵食地形が、狭い可住地を生み出した。その結果、人々の暮らしは川沿いの限られた土地に凝縮され、山と水との距離が極めて近い。天城山近くの山間部では年間降水量が4000ミリメートルを超える多雨地帯。この豊かな水と、火山由来の土壌が、この町の産業を形作ってきた。
狩野川の谷が育てる米
修善寺地区の水田は、狩野川の流れに沿って段々と広がっている。この川の水が、春から秋にかけて田を潤す。火山灰土壌に、豊富な水。こうした条件が、良質な米を生む。
修善寺の桂流こしひかりは、この谷間で育つ特別栽培米だ。粒が揃い、炊くと白く輝く。朝日が谷間に差し込む季節、田んぼの緑は深くなり、秋には黄金色に変わる。その風景の中で育った米が、家の食卓に届く。

米は、この町の基礎だ。狩野川の水がなければ、この米もない。寄付して届いた米を炊く時、その背景にある地形と水の流れを思い出してほしい。
温泉街の歴史と、今も湧く湯
修善寺温泉は、この町の顔である。1203年、源頼家が修禅寺に幽閉された時代から、この地には湯が湧いていた。江戸時代には、金山の労働者たちがこの湯に浸かった。明治には、養気館新井が創業し、眠雲閣落合樓が山岡鉄舟の命名を受けた。温泉街は、町の歴史そのものだ。
土肥温泉の商品券は、西伊豆の海岸部に湧く別の温泉地への入口となる。土肥は、かつて金山で栄えた場所。1577年に富永政直により発見された土肥金山は、1606年には「土肥千軒」と呼ばれるほど隆盛を極めた。その時代の労働者たちも、この湯に浸かったはずだ。

温泉は、この町の地下から湧く自然の恵み。火山活動の名残が、今も熱を保ち続けている。
海の幸、山の恵み
駿河湾に面した土肥地区では、漁業が営まれている。ミツダ水産のひものセットは、この海で獲れた魚を塩漬けにし、風で干したもの。塩辛く、噛むほどに魚の味が濃くなる。晩酌の肴として、白いご飯の上に乗せて食べるのが良い。
山間部では、かつてワサビ栽培が発展した。1744年、天城湯ヶ島の山守板垣勘四郎が、三島代官の命で有東木地区でシイタケ栽培の技術指導を行い、その見返りにワサビを持ち帰り試植した。1892年には、原保村の平井熊太郎が畳石式栽培法を開発し、ワサビ栽培は一つの産業となった。
この町の産物は、すべて地形と気候の必然から生まれている。
返礼品を選ぶ視点
伊豆市の返礼品は、温泉と食が中心だ。温泉は、この町の地下から湧く自然の恵み。米は、狩野川の水が育てたもの。魚は、駿河湾の潮目が集める獲物。
寄付する際は、この町の地形と産業の関係を思い出してほしい。標高500~1000メートルの分水嶺に囲まれ、狭い谷間に人家が集まり、その脇を川が流れ、海岸部では黒潮の影響で温暖な気候が広がる。こうした地理的条件が、すべての返礼品を生み出している。
米を選ぶなら、修善寺地区の特別栽培米を。温泉を選ぶなら、修善寺か土肥か、どちらの湯に浸かりたいかで決める。魚を選ぶなら、駿河湾の塩辛い風を思い出しながら食べる。そうすることで、返礼品は単なる商品ではなく、この町の風景そのものになる。
