七里岩の麓、甲州の仕事場
韮崎は甲府盆地の北西端に位置する。市の東西を山が抱き、中央を釜無川と塩川が南流する。この地形が、近世から近代にかけて韮崎を交通と流通の要衝にした。甲斐、信濃、駿河を結ぶ街道が交差し、河原部河岸では廻米輸送が行われた。米と馬を中心に発展した町だ。
しかし鉄道の開通は、その役割を一度は奪った。1903年に中央線が韮崎に達すると、七里岩の急勾配の坂上に位置する駅は利用を避けられ、町は通過地となった。だが大正時代、自動車と路線バスの発達が、再び韮崎を要衝に変えた。その後、1982年の中央自動車道・韮崎インターチェンジの開設は、この町の交通的な立場をさらに強固にした。
私はこの町を、地形と時間に翻弄されながらも、その都度、自分の仕事を組み替えてきた場所だと見ている。
甲州韮崎のウイスキー、三種の飲み比べ
現在、韮崎の主要産業は製造業と農業だ。東京エレクトロンテクノロジーソリューションズや三井金属ダイカストといった企業が本社機能を置き、同時に桃やぶどうといった果実が育つ。その中で、ウイスキーという新しい仕事が根付きつつある。
甲州韮崎のピュアモルト三種は、この町の現在を象徴する返礼品だ。三本それぞれが異なる樽熟成を経て、甲州の水と気候の中で仕上げられている。ウイスキーは、仕込みから瓶詰めまで数年の時間を要する。その間、樽の中で液体は変わり続ける。蒸留所の職人たちは、その変化を読み、ブレンドの比率を決める。一本の瓶に至るまでに、複数の世代の判断が重ねられている。

晩酌の時間に、グラスに注ぐ。香りを嗅ぎ、一口含む。その瞬間、甲州の土地と、そこで働く人たちの手仕事が、飲み手の舌に届く。ウイスキーは、地形と時間と人の技術が、液体になったものだ。
朝どれの桃、米焼酎の相棒として
韮崎の農業は、近世の用水路開削に始まる。穂坂堰、楯無堰、徳島堰といった灌漑施設が整備され、乏水地帯だった台地が新田に変わった。その歴史の上に、現在の果実栽培がある。
朝どれの大玉桃は、その土地の季節を家の食卓に運ぶ。夏の盛りに、冷やした桃を割ると、果汁が手に流れる。その甘さは、春から夏にかけての日照時間の長さ、年平均2170時間を超える日差しの蓄積だ。桃を食べながら、わに塚の桜米で炊いた白飯を食べ、夜間に甲州韮崎のウイスキーをロックで飲む。そうした食卓の時間が、この町の仕事の全体像を映す。

韮崎は、交通の要衝から製造業の拠点へ、そして今、食と酒の産地へと、その顔を変え続けている。その変化の中で、土地に根ざした仕事だけは、一貫して続いている。