北緯30度の分断から、村営蒸溜所へ
私は三島村を、歴史に翻弄されながら、それでも自分たちの手で何かを作り続けた町だと見ている。
1946年、米軍統治下に置かれたトカラ列島との分断。役場さえ本土に移された。その後、1952年の本土復帰を経て、村は竹島、硫黄島、黒島の三島だけで再出発した。人口404、財政力指数は全国で最も低い。本来なら、ここで終わる話もある。
だが三島村は、村営の焼酎蒸溜所「みしま焼酎 無垢の蔵」を立ち上げた。島の水、島の土、島で育つ芋。それらを使って、自分たちの手で焼酎を仕込む。これは単なる産業ではなく、離島が自分たちの足で立つための仕事だ。
みしま村の焼酎は、その営みそのものである。一升瓶に詰められた液体の背後には、週4便のフェリーで本土と繋がる島の日常がある。

晩酌の時間に、島の手仕事を思う
焼酎が届いたら、冷やして、湯呑みに注ぐ。水で割るなり、ロックで飲むなり。その一杯は、竹島の診療所で働く医者、硫黄島の学園で子どもたちを教える先生、黒島の漁港で網を繕う漁師たちと、同じ時間を共有することになる。
離島の焼酎は、観光地の土産ではない。それは、人口404の村が、自分たちの手で作った、自分たちの証だ。
メンドンという銘柄もある。また、複数の焼酎を飲み比べることで、島の水の違い、仕込みの季節による味わいの変化を感じることもできる。

どれを選ぶにせよ、それは三島村という町が、北緯30度の分断を越えて、今も続いている仕事への寄付である。
