門前町が生んだ焼酎の風土
宇佐市は、全国四万社余りの八幡宮の総本宮である宇佐神宮の門前町として発展した。同時に、東西本願寺の別院が置かれた四日市地区も「九州御坊」として九州全体を管轄する宗教的中心地だった。こうした門前町の繁栄は、参詣客と信仰者の往来をもたらし、やがて地域の産業を形作っていく。
宇佐の麦焼酎は、そうした歴史の中で育まれた。三和酒類という地元企業が、この町で焼酎を造り続けて三百年近い。門前町という性質上、宇佐には全国から人が集まり、その土地の酒を飲み、故郷に帰る。焼酎はそうした往来の中で、宇佐という場所を全国に運ぶ媒体となった。
私が宇佐の焼酎に注目するのは、それが単なる地方産業ではなく、門前町という特殊な経済圏の中で、飲み手の文化と一体になって成立してきたからだ。参詣客が晩酌で飲む酒。信仰者が祭りの夜に酌み交わす酒。そうした日常の営みの中で、焼酎は宇佐という町そのものになっていった。
麦焼酎「いいちこ」の仕事
いいちこ 25度 1.8Lは、三和酒類が造る代表的な麦焼酎だ。麦を蒸し、麹を仕込み、仕込み水を合わせ、発酵させ、蒸留する。その工程は、焼酎造りの基本を一貫して守るものである。

1.8リットルの瓶は、晩酌の相棒として家の食卓に着地する。ロックで、水割りで、お湯割りで。季節によって飲み方は変わるが、毎晩同じ瓶を手に取る。そうした繰り返しの中で、焼酎は家の一部になる。宇佐の焼酎を寄付で受け取るということは、その町の日常を、毎晩の杯の中に迎え入れることなのだ。
麦焼酎は、米焼酎や芋焼酎と異なり、麦という穀物の素朴さを前面に出す。宇佐市は県下最大の穀倉地帯であり、その農業の営みが焼酎の味わいに直結している。麦を育てる農民、それを買い付ける蔵元、瓶詰めして運ぶ流通。そうした一連の仕事が、一本の瓶に凝縮されている。
米と野菜、宇佐の食卓
焼酎と並んで、宇佐の返礼品の中心は米である。大分県産ひのひかり 5kgは、宇佐の農業を代表する品だ。ひのひかりは、粘りと甘みのバランスが良く、毎日の食卓に向く米である。

宇佐市は、旧豊前国の南東端に位置し、北は周防灘に面する。その平野部は、古くから水田地帯として開発されてきた。江戸時代には天領として幕府の直轄地となり、年貢米の生産地として重視された。その歴史は、現在も宇佐の農業に刻まれている。
宇佐のお米と季節の野菜詰合せは、米五キログラムに季節の野菜を組み合わせたものだ。春は新玉ねぎ、夏はトマト、秋はさつまいも、冬は大根。その土地で、その季節に採れた野菜が、米と一緒に家に届く。これは、宇佐という町の農業の営みを、そのまま食卓に映す返礼品である。
麦焼酎と米、宇佐の産業の二本柱
宇佐市の経済は、農業と焼酎製造の二本柱で支えられている。県下最大の穀倉地帯という地位は、単に米の生産量が多いということではなく、その土地の気候、水、土壌が、穀物の栽培に適しているということを意味する。その同じ条件が、焼酎造りにも活かされている。
麦焼酎「いいちこ」を晩酌で飲みながら、宇佐産のひのひかりを食べる。その営みの中に、宇佐という町の風土が、最も素朴な形で表現されている。
宇佐市は、宇佐神宮と本願寺別院という二つの宗教的中心地を持つ町だ。その門前町としての歴史は、全国からの参詣客をもたらし、やがて地域の産業を形作った。焼酎と米は、その歴史の中で育まれた、宇佐という場所を代表する産物である。
寄付を通じて、この町の返礼品を受け取ることは、宇佐の農民と蔵元の仕事を、自分の食卓に迎え入れることだ。毎晩の杯と毎日の飯の中に、宇佐という町が生きている。