水害を越えて、ものづくりの町へ
大東市は、大阪と奈良を結ぶ東高野街道の要衝として、古くから人と物が行き交う土地だった。江戸時代の大和川つけかえと深野池の干拓により、新田開発が進み、稲作と木綿、菜種の産地として「天下の台所」大坂を支える後背地となった。その後、明治の鉄道開通とともに、繊維産業が根を張った。
1895年、住道駅南側に摂河紡績の工場が稼動を始め、やがて鐘紡(カネボウ)へと引き継がれた。以来76年間、この町は「繊維の街」として栄えた。しかし1975年の工場閉鎖は、単なる産業転換ではなく、町の自己再定義を迫った。跡地には文化センターや福祉施設が建ち、町は新しい役割を模索した。
同じ時期、大東市は未曽有の水害に襲われた。1972年と1975年の集中豪雨は寝屋川の堤防を決壊させ、市域を水没させた。この災害を教訓に、町は河川改修と水道事業を最優先に、官民一体のまちづくりに舵を切った。
象印の家電が、今の大東を語る
現在、大東市に本社を置く象印ファクトリー・ジャパンは、この町のものづくりの系譜を引き継ぐ企業だ。繊維から家電へ、産業は変わったが、「ものを丁寧に作る」という風土は変わらない。
象印のSTAN.電気ケトルは、そうした町の気質を体現している。シンプルで、機能的で、毎日の食卓に静かに寄り添う。朝、湯を沸かす。夜、温かい飲み物を淹れる。そうした日常の繰り返しの中で、ものづくりの町の手仕事が家に届く。

ホットプレートや空気清浄機も同じ系譜にある。家族が集う食卓、呼吸する空間。生活の基盤を支える品々が、大東の工場から送られてくる。かつて綿布が大坂の市場に流れたように、今は家電が全国の家庭に届く。

水害を越え、産業を転換し、なお「ものづくり」を続ける町。その誠実さが、返礼品に映っている。
