宿場町が、今も旅の拠点である理由
米原は、古くから道の分岐点だった。中山道と北陸道が分かれ、琵琶湖の湖上交通も行き交う。江戸時代、この地には米原宿をはじめ、番場宿、醒井宿、柏原宿という四つの宿場が置かれた。旅人たちはここで馬を替え、食事をし、一夜を過ごした。
現在、米原の役割は変わっていない。東海道新幹線と北陸本線が分岐し、名神高速と北陸自動車道が米原JCTで接続する。京都まで19分、名古屋まで27分。関西と中京を結ぶ結節点として、今も多くの人が行き来する。
その米原で、宿場の精神を受け継ぐ宿がある。居醒庵は、醒井宿の地に建つゲストハウスだ。素泊まりの宿だからこそ、旅人は自分のペースで町を歩き、地蔵川の清水を汲み、宿場の面影を辿ることができる。江戸の旅人と同じように、この町を通過点ではなく、立ち止まる場所として使う。

山と湖に囲まれた土地が生む、寝具の質
米原の地形は、寝る者を支える。伊吹山と霊仙山に囲まれ、琵琶湖を臨む盆地。降雪量は年200センチに及び、冬は厳しい。こうした気候の中で、人々は良い寝具を必要とした。
近江布団は、この土地の産業だ。15センチの厚みと高反発素材は、琵琶湖周辺の湿度と寒冷に耐える設計。自分の家に届いた時、その重さと弾力は、米原の冬を知る職人の手仕事を感じさせる。

山麓の産業が、今も続く
米原市内には、ナンガという登山用ダウンジャケットのメーカーがある。伊吹山麓の気候が、高機能なアウトドア製品を生み出した。タキビダウンジャケットは、焚き火の傍で着ることを想定した設計。米原の山と、そこで鍛えられた技術が、一枚のジャケットに凝縮されている。
宿場町として栄えた米原は、今も旅人と、その旅を支える品を送り出す町である。
