埋立地の上に、米作りの歴史がある
千葉市を初めて訪れると、その風景の二面性に驚く。東京湾に面した臨海部は、戦後の埋立てで生まれた工業地帯。川崎製鉄所(現JFEスチール)の煙突、幕張新都心のビル群。一方、市の内陸側—若葉区や緑区に足を踏み入れると、下総台地の上に広がる田んぼと雑木林がある。この二つの千葉市が、同じ自治体の中に共存している。
返礼品を見ると、その矛盾が面白い。旅行クーポンやテレビといった都市的な品の隣に、米がある。それも、千葉産の米だ。私は、この米こそが千葉市の本当の顔だと思う。
千葉産ミルキークイーンは、粘りともっちりした食感が特徴の品種。白米で届く。開けた時、その香りは—新米の季節なら特に—穀物そのものの甘さがある。炊くと、粒がふっくら立つ。冷めても硬くならない。だから、おにぎりにしても、翌日の弁当でも、米本来の味が残る。

千葉市の農地は、かつての海岸線より内陸にある。国道14号や357号をなぞる線が、江戸時代の海岸だったという。つまり、今、米を作っている場所は、人間が埋め立てる前から、下総台地の上にあった。工業化の波に飲まれず、静かに田んぼとして残った土地だ。その米を食べることは、千葉市の別の時間軸を、食卓に招くことになる。
港の記憶は、佃煮に詰まっている
江戸時代、曽我野浦や登戸浦は、房総半島から江戸へ物資を運ぶ拠点だった。干鰯、鮮魚、年貢米—すべて船で運ばれた。葛飾北斎の浮世絵に描かれた登戸浦の活気は、その時代の千葉市の顔だ。
白佃煮の詰合せは、その港の記憶を、瓶詰めにしたものだと私は読む。玉木屋という老舗が手がけている。白佃煮とは、小魚や海産物を塩辛く煮詰めたもの。ご飯のお供に、酒の肴に。一口食べると、塩辛さと、素材の旨味が同時に来る。これは、冷蔵庫に常備する類の品だ。朝食の白いご飯に乗せる。晩酌の時、小皿に盛る。毎日の食卓で、少しずつ消費される。

8種類の詰合せということは、毎日違う味を試せるということ。飽きない。そして、一つ一つが小さな瓶だから、開けたら食べきる。新鮮さが保たれる。
旅と米、どちらを選ぶか
千葉市の返礼品を眺めていると、選択肢の広さに戸惑う。楽天トラベルのクーポンもあれば、テレビもある。都市的な品ばかりだ。
しかし、私なら、米を選ぶ。理由は単純だ。米は毎日食べるものだから。寄付した先の土地の米を、毎日の食卓に乗せることで、その土地とのつながりが、日常化する。千葉市という、東京に近すぎて、つい素通りしてしまう都市の、別の顔を知ることになる。
粒すけという新品種の無洗米も、同じ論理で推したい。無洗米なら、研ぐ手間がない。忙しい朝でも、すぐに炊飯器に入れられる。毎日、その手軽さの中に、千葉市の下総台地を感じることができる。
