城下町から宿場へ、そして産業都市へ
深谷の町は、1456年に上杉房顕が櫛引台地の北端に深谷城を築いたことに始まる。城の周辺に城下町が形成され、江戸時代には中山道の宿場として大きく発展した。最盛期には旅籠が約80軒も並び、旅人たちの往来で賑わった町だ。
その後、深谷は農業の町として知られるようになった。利根川と荒川に挟まれた地形は、洪積台地と沖積低地をもたらし、野菜栽培に適した土壌を生み出した。特に深谷ねぎは日本一の出荷量を誇り、今も市の農業出荷額の中心を占めている。しかし深谷の産業の顔は、それだけではない。
昭和30年代、市の東部に工業団地が造成されると、深谷は工業都市へと転換していった。元々、地元の土から作られたレンガや瓦の製造が盛んだった土地柄が、近代工業へと進化したのだ。今日、深谷には日東電工、LIXIL、赤城乳業といった大手メーカーの工場が立地し、ものづくりの拠点として機能している。
手仕事と産業が交わる返礼品
深谷に寄付すると届く返礼品は、この町の産業の多様性を映し出している。クリエイター向けのデバイスは、デジタル時代のものづくりを支える道具だ。机の上で、手と脳が一体となって作業を進める時間。深谷の工業団地で生まれた製品たちと同じく、人の創意を形にするための装置である。

一方、ゴルフ用のレーザー測定器は、精密さを求める人の手に届く。深谷の工業が培ってきた計測・精密加工の技術が、こうした製品にも息づいている。

深谷は、かつて宿場町として人と物が行き交う場所だった。今、その町は工業の力で、全国の人々の手元に届く品々を生み出している。城下町の面影は薄れたが、ものづくりの精神は確かに受け継がれている。