那珂川の右岸に立つ城下町
那須烏山市は、那珂川が成す河岸段丘の上に立つ町だ。応永の年間、沢村五郎資重が烏山城を築いたのが始まりとされている。一羽の烏が金の幣束を咥えて西側の山頂に落とした——そうした伝説が地名の由来として今も語り継がれている。城下町として栄えた町は、江戸期には大久保氏が三万石を領し、八代にわたって統治した。その後、廃藩置県を経て、平成の合併で現在の市域が形作られた。
町の経済は、かつて栃木県東部の要衝として機能していた。だが近年、交通網の整備とともに宇都宮やさくら市への人口流出が進み、市街地の活力は変わりつつある。人口は二万四千余。関東でも有数の小さな市である。
清流と和紙、そして今の暮らし
この町の産業を見ると、第一次産業が盛んだ。中山かぼちゃの生産が特色として知られている。また、建保年間には那須十郎が越前国から紙漉き職人を招き、程村紙——後に烏山和紙と呼ばれる厚手の和紙——を創製したという。その伝統は今も息づき、地元学校の卒業証書には透かし入りの程村紙が使われている。
那珂川と荒川の清流、龍門の滝、そして山あげ祭という国の重要無形民俗文化財。観光資源に恵まれた町ではあるが、返礼品を通じて寄付者の手元に届くのは、そうした観光地としての顔ではなく、日常の暮らしを支える品である。
現在、那須烏山市の返礼品は限定的だ。リユースのタブレットが選択肢として用意されている。新しい品ではなく、すでに使われた機器を再び活かす——それは、小さな町が資源を大切にする姿勢を映しているようにも見える。

城下町の歴史を背負い、清流と段丘の地形に根ざした那須烏山。その町への寄付は、人口減少の時代にあって、地域の営みを支える選択となる。
